◆観光名所・甲斐(山梨)特産品
Live Camera 「ドラゴンパーク」
Live Camera 「富士山」
Live Camera 「南アルプス」
◆ドラゴンパーク
愛称は「ドラゴンパーク」。広さ25000平方メートルの芝生広場をはじめ、ピクニック広場、遊具などが設置されているアースワーク広場、ジョギングコースをはじめ軽スポーツなども楽しむことができる施設です。新たな市のシンボル、展望塔(高さ33メートル)からは甲府盆地の景色が一望でき、夏期(7/1〜9/30)は夜10時まで夜景を楽しむことができます。
◆昇仙峡
日本一の渓谷美を誇る御岳昇仙峡は秩父多摩甲斐国立公園の主峰金峰山、国師ヶ岳から流れを発する荒川の清流がつくりだした渓谷で、天神森から仙娥滝まで約4.1kmの間の谷あい両岸には、いろいろな名前がついた奇岩怪石が続いており、春夏は全山花崗岩の岩壁に松の緑が良く調和し、秋には紅葉が鮮やかに映え、 また冬は雪の景色等四季を通じてまさに天下の絶景をみせる名勝地です。
国指定特別名勝。

◆梅の里
平成2年度より、遊休桑園の高度利用と地域振興の活性化を図る目的で着手し、17.9haを改植、内敷島総合公園を中心とする2haを農事組合法人ゆうのう敷島へ委託管理しています。観光イベントとして、梅の里写真コンテストやもぎ取りのできる観光梅園を開設し、家族みんなのふれあいの場として利用されています。

◆太刀岡山
太刀岡山は昔、日本武尊が東国征討の帰路、甲斐から信濃に入る道すがらこの山にお登りになり、下山の時お持ちの剣をこの山に残していったので、その名が生まれたと言う伝説があります。名前のとおりこの山は険しく、中腹にある100メートルを越える鋏岩に登ると、まさに剣先に立った思いがします。


◆甲州ワインビーフ
甲斐市平見城地区で生産される甲州ワインビーフは、ワインを搾って残ったブドウ粕を飼料として育った牛から生産されます。ワイン粕は良質な繊維を大量に含んでいるとともに、ブドウの皮に含まれる成分が肉質の改善につながるので牛肉の旨味がひきだされます。
◆サントリー登美の丘ワイナリー
実り豊かな自然に愛された丘。90年の歴史と150ヘクタールの自家ぶどう園の中には、ワインになるための葡萄が慈しみ育てられています。土に、花に、人に見守られてワイン愛好家の舌を魅了するワインができるのです。
ワイン製造工程の見学や試飲ができるほか、日本初のワイン博物館やギフトショップ、おしゃれなレストランがあります。野外レストランではバーベキューも味わえます。


◆フルーツ王国 甲州八珍果の実る自然豊かな山梨

 甲州(現在の山梨県)で生産された、ぶどう、もも、かき、すもも、りんご、なし、うめにかりんの八つを総じて「甲州八珍果」と呼び、都に献上していたことが江戸時代の文献に記されています。
 寒暖の差が激しい気候や起伏、水はけのよい地形などの条件が揃っているために、美味しいフルーツ作りに適しています。
 一面に花咲く春から、たわわに実る収穫の秋まで、毎年数えきれないほどの笑顔がほころぶ「果樹王国」です。
山梨県の南アルプス市は、県内でも最も多くのさくらんぼ園があります。その数なんと1200箇所。
 収穫時期も早いので5月のゴールデンウィークから6月下旬までさくらんぼ狩りが楽しめます。
山梨県勝沼町では、30品種ものぶどうが次々に狩りごろを迎えるため、8月から10月までぶどう狩りを楽しむことができます。(ぶどうの狩りごろは、品種によって違います)
◆中央アジア原産
日本で唯一の在来種である甲州種は、血統正しい欧州系のブドウです。ルーツをたどると、遥かシルクロードを越えて、中央アジアのコーカサス地方に至ります。中国に伝えられたのは紀元前128年頃、漢の武帝の時代です。
武将張騫が西域遠征から、石榴や胡桃などとともに持ち帰ったことが、文献からわかっています。日本への伝来はそれから700年余りを経た、6世紀以降のことでした。
仏教の伝来など大陸との交流によりもたらされたと推測されています。
国内では、薬師信仰とともに伝播したというのが定説となっています。中でも、特に気候風土に適した甲斐の国、峡東地域(甲府盆地の東部)に根付いたと言われています。
甲州ブドウの発祥をめぐっては二つの伝説が勝沼の地に語り継がれています。
ルーツ

◆大善寺伝説
712年(養老2年)、名僧行基が諸国行脚の途中、勝沼の柏尾に立ち寄り、日川渓谷の大きな岩の上で鎮座して修行していたところ、満願の日に右手にブドウ、左手に宝印を持った薬師如来が霊夢の中に現れました。
行基は喜び大木を切って、同じ姿の薬師如来を刻んで安置しました。
これが大善寺の始まりで、行基は法薬であるブドウの作り方を村人に伝えたと言われています。
◆雨宮勘解由(かげゆ)伝説
1186年(文治2年)、上岩崎に住む雨宮勘解由が石尊山の祭りの日、近くの山「城の平」で山ブドウの変生種を見つけました。
ひと目見て、これは将来良いブドウになると思い、持ち帰って苦心しながら育てたところ、5年目に30余房の見事なブドウを収穫することができました。
それ以来、勘解由は村人に苗を分け与え、普及に努めたということです。
善光寺参りに向かう源頼朝に献上し、お褒めの言葉を賜ったと言われています。
右手にブドウを持っている薬師如来坐像
国宝 大善寺
江戸時代のブドウ収穫の様子
龍憲セラー(現存最古)
◆棚栽培の創案
甲州ブドウの栽培歴史の中で特筆されるのは棚栽培の創案でした。甲州ブドウは樹勢が極めて旺盛で、株や垣根仕立てでは蔓が徒長してしまうため、具合が悪かったと思われます。
江戸時代の初期、竹による棚づくりを考えて勝沼の村人に広めたのは甲斐の徳本(長田徳本)と呼ばれる漢方医だったと伝えられています。竹棚栽培の創始により、甲州ブドウの栽培が普及しました。
 甲州街道勝沼宿の名物として、江戸へ出荷され、「甲州といえばブドウ」と言われるほどの特産品となりました。明治にはいると電信線をヒントに鉄線棚が考案され、現在の栽培法が確立されていきました。勝沼から始まった鉄線棚は、やがて全国のブドウ栽培農家へと広まっていきました。

◆ワインづくりの始まり
日本においてワイン造りが始められたのは明治になってからのことでした。明治3、4年(1870〜71)ころ、甲府に住む山田宥教(うきょう)と詫間憲久という人物が醸造を始めたという記録が残っています。
醸造所を作り本格的にワイン醸造を始めたのは、祝村(現 勝沼町 )の有志で、明治12年(1879)のことでした。その2年前の明治10年、大日本葡萄酒株式会社(通称「祝村葡萄酒」)が設立されました。同社では本場のワイン造りを修得する為、高野正誠と土屋龍憲の青年二人をフランスへ派遣しました。シャンパーニュやブルゴーニュ地方で学んだ二人は帰国後に、甲州ブドウを使ってワイン造りを始めました。
 高野家に残る大福帳によると、最初の年の醸造量は30石(約5400リットル)であったということです。高野家の土蔵にはそのころ造られたワインが大切に保存されています。明治の文明開化、殖産興業の象徴として始められたワイン造りの灯は、今もこの地に脈々と受け継がれています。

伝説
歴史
文字が重なって見にくい場合は「縮小」ボタンにて調節してください。