地図にかかる歴史年表

西 暦

内 容

BC2000〜1500年ころ 北イタリア「カモニカ渓谷」の集落平面図(ベトリナ地図)
BC1550年〜1085年ころ エジプト ラメシド期(紀元前1550年〜1085年ころ)のヌビアの金鉱地図
BC1500年ころ エジプト 石膏で覆った木版表面の庭園詳細平面図
BC2300年・1500年ころ  文明がもたらした最初の地図として、メソポタミアの地図が知られている。
 最大縮尺の地図は、紀元前1500年ころの粘土板に描かれたニップール地区などのメソポタミア都市平面図
 中縮尺の地図は、紀元前2300年ころの粘土板に描かれた初期アッカドの地図として知られるメソポタミア地域地図
BC8世紀ころ 現存する最古の世界図(小縮尺図) BC700年ころのバビロンを中心に置いた円形の世界を持つ、バビロニアの粘土板の地図 
BC6世紀ころ  ピタゴラス学派、地球球体説を提唱 
BC355年ころまで 地球の周囲の長さを最初に計算したのは、クニダスのユードクス(紀元前355年ころ没)で、約74,000kmと見積もり、天球儀も作ったというが現存していない。
BC350年ころ 石に彫刻したエジプト人のコスロモロジカルマップ(天文と地球の全体について世界観を表した地図)
BC334-323年 アレクサンドル大王(BC?-323年没)は、北インド遠征に歩測者を使って旅行距離の推測をした。
BC195年 科学的な測定方法が明らかで、精度も確保されている地球の周囲の長さを測定した最初は、アレクサンドリアの図書館長エラトステネス(紀元前276〜196年)の測定値約46,300kmである。ほかに彼は、地球上のさまざまな距離の測定と旅行者などからの情報を収集した。
BC150年ころ クラテス(BC 2世紀に活躍)は、大きな地球儀を作り、その上にほぼ対称的に4つの大陸を描いた。 
BC130年ころ 現存する中国最古の地図 馬王堆3号出土の與地図。その後、BC 299年以前のものといわれる木片の地図が発見されている。 
BC110年ころ ヒッパルコス(BC 2世紀)は、地図投影の真の創案者と考えられている。地球の全周を360度として天文観測での経緯度測定を提案した。
BC100年ころ エジプト人の石に彫刻した黄道帯地図
BC27〜14年  アウグスタス・カエサル(BC 27〜14)の女婿アグリッパが手がけた地図は、エクメネ(可住世界)をヨーロッパ、アジア、アフリカに分けて表示した最初のものと信じられ、それも教室掛地図のはしりと見られる(文献から知られるだけ)。
400年ころまで ローマ時代には大規模な土地区画調査が行われ、フランス南部オランジュで測量した、ローマ時代の測量原図を彫刻した大理石の破片が現存している。
150年ころ プトレマイオス(2世紀に活躍)もまた、エラトステネスと同じアレクサンドリアの図書館長であって、彼の地理書には、カナリア諸島を通る本初子午線と経緯線を投影した世界図と8,000地点の座標表が含まれていた(150年ころ)。地球の周の長として約33,336kmを使用した。プトレマイオスが実際に地図を成したかどうかは明らかではない。 
310年  星図(310年)、最初の天球儀(440年)、現存する最古の手書き星図(940年)、極心平射図法の円形星図(1193年)などがこの間の中国人の成果である。 
550年ころ コスマスの地球球体説を否定した「地理書」(550年ころ) 
590年ころ  西欧中世前期の地図成果は、ほとんど残されていない(地図暗黒時代とも言われる)。わずかに、590年ころの、西アジアを中心とするマダハ・モザイクと呼ばれる地図と「ポイティンゲル道路地図」である。これは4世紀に由来し、12、13世紀の写本が残されている。
743年 このころ、行基(688〜749年)が街道図を作ったという。 
751年  現存する日本最古の地図は、「東大寺領懇田図(751年)」である。
1137年  中国の世界図、中国西安碑林の禹跡図(1137年) 
1154年 プトレマイオス以降は球体説が否定されたが、イドリーシ(1100から1166年?)は時代を経て湾曲した緯線による円形の世界図を作成した。
1155年  現存する世界最古の印刷地図は、中国の「地理之図」である。 
1100〜1165年ころ 世界地図「ロジェル王の書」作者イドリーシー(1100〜1165)は、湾曲した緯線による円形の世界図を制作した。 
1279年 現存する世界最古の天球儀は、1279年にペルシャのアルウルダイにより作成されたと推定されている。
1271〜1295年 マルコ・ポーロの東方旅行(1271〜1295年)
1280年ころ  イングランドのヘレフォード寺院に残されたヘレフォード図(マッパエムンデイと呼ばれ、リチャード作)は、円形の海に囲まれた世界の陸地がアジア、アフリカ、ヨーロッパに三分割されたもので、これは当時の代表的な世界図のスタイルであり(TO図と呼ばれる。13世紀後半)、寺院の祭壇の飾りになっていたらしい。
1300年ころ このころ日本の荘園図作成される(1300年ころ)。
13世紀  ヨーロッパ最古の国別地図、パリスのブリテン島地図 
13世紀後半 ポルトラノ海図の起源は、はっきりしないが、13世紀後半にポルトラニ(航路案内書、水路誌)の記述を引用して拡張したらしい。最古のポルトラノ海図(1290年ころ)は、ピサ図と呼ばれるもの。年代のはっきりしたものは1310年のジェノバで作ったもの。 
1305年  現存する最古の日本全図 行基(作)図(仁和寺所蔵) 
1472年 ヨーロッパ最古の印刷地図、アウスヴルグで印刷された聖イシドールのT-O図 
1482年 ヨハネス・シュニッツアーの「プトレマイオス図」 
1492年  現存する世界最古の地球儀は、ドイツのニュルンベルク博物館に保管されている、マルチン・ベハイム(?-1506)作成 
1506年  新世界発見を描いた最初の印刷された一般図は、フィレンッエのコンタリーニと彫刻製版師ロッセリによるもので、(1506年)大英図書館が所蔵している。コンタリーニの地図は、正規の子午線と平行圏を表示している。本図発見までは、ルイシュの地図が最古と思われていた。 
16世紀ころ  この時期、急速に拡大する世界を表現するために独創的な図法を考案した。
 扇型図法(正距円錐図法1506年)=コンタリー(フィレンツエ)
 ヴァルトゼーミュラー図法(ハート型図法1507年)=ヴァルトゼーミュラー
 極心方位図法(極心正距方位図法1511年)=マッジョリー(ジェノバ)
 ルイシュ図法(1507年)=ルイシュ(オランダ)
 アニエーゼ図法(1542年)=アニエーゼ(ベネチア)。 
1507年  南アメリカに初めてアメリカという地名を明記した作成年次のある地図は、ヴァルトゼーミュラーのプトレマイオス型印刷地図
1533年 視準線の交会角を測り位置を決める三角測量は、フリシウスが報告した(1533年)。 
1511年 メルカトル図法による地図作成を試みたものは、ニュルンベルグのエツラウプであった(1511年)。これは、メルカトルによる世界図以前のことであった。 
1569年 メルカトル(1512〜1594年)、メルカトル図法による世界図を作成した(1569年)。 
1595年  メルカトル以前、銅版彫刻師ラフレリは、地図帳を作成し標題のページにアトラスを描いた。しかし、地図帳がアトラスと呼ばれるようになったのは、メルカトルが地図帳にこれを用いてからである(1595年)。 
1570年 オルテリウス(1527〜1598年)が「世界の舞台」と題して、最新の地理的知識と、美麗で鮮明な印刷などで構成された世界地図帳を刊行した(1570年)。
1584年  印刷した海図で構成する真の海図帳の最初は、ワーヘナールの「航海の鏡」である(1584年ライデン)。 
17世紀ころ  ノルデン(1548〜1625年)は、各地点間距離表示(三角距離表)の先駆者であった。
 オーグルビー(1600〜1676年)は、「ブリタニア(ロンドン1675年)」を発行し、ここでの主要郵便輸送道路に沿う主要地点間距離表示で、より革新的な業績があった。 
1602年  マテオ・リッチが、中国初の世界地図「坤輿万国全図」 
17世紀ころ  徳川幕府が、国ごとの地図作成を命じた(「慶長国絵図」1605年)。その後、1644年「正保国絵図」、1654年「慶長国絵図」、1697年「元禄国絵図」に、国ごとの地図作成を命じた。 
17世紀ころ 三角測量による距離測定法を用いて、一定の成果を上げたのはスネル(1580〜1626年)である。 
1650年ころ  このころ日本で、道中図が発達する(1650年ころ)。 
1687年  石川流宣が浮世絵の日本地図「本朝図鑑綱目」 
17世紀ころ  イギリスのモクソン(1627〜1700年)は、直径7.5センチのポケット版地球儀「懐中地球儀」を作成した(1670年代)
 ベネチアのコロネリ(1650〜1718年)は、最初の地理学会を設立し(1684)、球儀の製作を行い、「球儀の本」という球儀の子午線帯の印刷地図帳を作成した(1701年)。 
1669年  ルイ14世の命を受けフランス子午線弧長測量が始まる(1669年)。ジョヴァンニ・ドメニコ・カッシニ(1625〜1711)が着手し、全土の三角測量は1745年に概ね終了し、それ以降(1747年)地形図の作成を開始し、1818年に完成した。
 カシニ四代は、この間フランスの地図作成に係わった(ジョンバニ・ドメニコ・カシニ1625〜1712年、ジャック1677〜1756年、セザール1714〜1784年、ジャン1748〜1845年)。P82要点検??
1690年 渋川春海が、日本で最初の地球儀を作成 
1693年 ピカール(1620〜1682)とラ・イール(1640〜1718年)が、パリ天文台から基準点成果を得て、フランス海岸の最初の科学的測量図「フランス輪郭地図」を作成した(1693年)。 
1701年 ハレー(1656〜1742年)の大西洋の磁針偏差を示した地図は、現存する等値線図として世界で最初のものである(1701年)。
1719年 将軍吉宗、数学者建部賢弘に「享保日本図」の編集を命令
1729年  世界で最初の等深線彫刻版地図は、オランダのクルクアイウス(1678〜1754年)作成のものである(1729年)。 
1751年  平板とアリダートにより地図作成を行なう平板測量を、ディグスが報告
1761年  ハリソン(1693〜1776年)は、1761年には航海用クリノメータを発明し、英国政府から賞金を受けた(1773年)。この発明により、経度測定精度を大幅に向上させた。
1799年  ドイツの地形測量技師レーマン(1765〜1811年) ケバ表現を体系化
1787〜1875年 デュフール(1787〜1875年) スイスの地図で北西からの光を仮想して立体的なケバ表現
1787年 イギリスの三角測量開始(1787年)、イギリス陸地測量局設立(1791)。
17、18世紀  17、18世紀には、地図投影に関する研究が数多く行なわれた。
 サンソン図法=サンソン(1650から1700年にかけて活躍)
 カシニ世界図法=セザール・フランソワ・カッシーニ(1714〜1784年)
 ボンヌ図法=ボンヌ(1727〜1795年)
 投射図法=ラ・イール(1640〜1718年)
 球状図法=ラグランジュ(1736〜1813年)
 正距円錐図法=マードック(?〜1774年) 
1779年 長久保赤水 日本で最初の経緯度線入り地図?「改正日本輿地路程全図」
1791年 陸軍の測量技術者による等高線による地図表現の試作が行なわれ(18世紀)、地形図での広域を覆う等高線の最初は、フランス人デュパン・トリエル(1722〜1805年)によるものである(1791年)。
 関連して、アメリカ陸軍士官学校のウィスラーとマクニールは、レーマンのケバ表現とトリエルの等高線表現とを比較研究した(1822年)。
1791年 フランス学士院科学アカデミーは、地球の子午線第1象限弧長の1千万分1を1メートルと定義した。
 1875年になって、メートル法度量衡は国際条約として締結された。
1788〜1877年 ランベルト(1788〜1877年)は、各種の正積図法と横メルカトル図法を考案した。
 関連して、ガウス(1777〜1855年)は、回転楕円体から横楕円筒への正角図法での投影を提案した。
 その後、ガウスの遺稿からクリューゲルが今日の構成を完成した(1912)。
1792年 司馬江漢(1738?-1818)が、日本で最初の銅版印刷された地図「地球両半球の図」を彫刻出版
19世紀初  リッター(1798〜1883年)は、灰色濃淡による高度段彩のヨーロッパ総図を作成した(1806年)
 デュパン・トリエル(1722〜1805年)は、高度段彩の手法を考案したらしく、ツォイネ(1778〜1853年)が作成した世界図に使用された(1804年)
 オーストリアのハウスラウプ(1798〜1883年)とポイカー(1859〜1940年)が現在普及している色別段彩の体系を開発した。 
1800年 伊能忠敬が、全国測量を開始した(1800年)。伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」完成した(1821年)。
1802年 ラントンのインドの三角測量始まる(1802年)。
1804年  近藤重蔵「辺要分界図考」
1809年  間宮林蔵、間宮海峡の発見
1810年  高橋景保、北方探検の成果を加えた当時最も正確な世界地図「新訂万国全図」
1815年 イギリスのスミス(1769〜1839年)は、地質図を開発(1815年)
1817年  フンボルト、大西洋両岸の等温線図表地図を出版
1828年  シーボルト事件
1839年  フランスのニエプス(1765〜1833年)とダゲール(1789〜1851年)によって、写真が誕生した(1839年発表)。 
1844年  箕作省吾「新製輿地全図」
1855年 アメリカのモーリ(1806〜1873年)は、精巧な海図作成を行なうとともに、航海海図についての着想を「海の自然地理」として要約した(1855年)
 ウイルクス(1798〜1877)は、集中的な海洋調査をして世界海図を作成した(1842年)。
1858年  最初の空中写真は、フランスのトウルナション(1820〜1910年)が撮影した(1858年)。 
1859年  松浦武四郎「東西蝦夷山川地理取調図」
19世紀  ハレーやフンボルトに続いて、多くの科学者の手で主題図が作成された。
 人口密度の段階表示、交通量図(1837年)=ハーネス(1804〜1883年)
 人口のダイヤグラムと方眼の重ね合わせ(1886年)=プレイフェア(1759〜1823年)
 等値線による人口密度図(1857年)=ラブン(デンマーク 1826〜1910)
 ドットマップ(1880年)=モンチゾン(フランス)
 単純コロプレス図(1831年)=ダンジェヴィル
 ロンドンのコレラ疾病地図(1855年)=スノー(イギリス)。
19世紀 19世紀における数学者の多くは地図投影を研究した。
 それまで、天文学の分野で利用されていた心射図法を地球の地図に採用(1831年)=ライトヒャルト(1758〜1831年)
 正積卵形図法(正積楕円図法)=モルワイデ(1774〜1825年)
 アルベルス(の正積円錐)図法=アルベルス(1773〜1833年)
19世紀 スミスとフンボルトによって作成されていたブロックダイヤグラムは、アメリカのギルバート(1843〜1918年)とデービス(1850〜1934年)によって理想的な形で開発された。
1872年  日本の三角測量開始された(工部省東京府下 1872年)。内務省地理寮が「関八州大三角測量」を開始(1874年)
1872年  兵部省海軍部水路局により、日本で最初の海図「陸中国釜石港之図」が作成・発行された(1872年)。 
1884年  1884年の万国子午線会議によって、イギリスのグリニッジが全世界の本初子午線とすることが決められた。
1885年? スコットランド生まれのガル(1808から1895年)が、メルカトル図法において球に円筒を交わらせる着想を思いついた(1885年?)。
1885年  地質調査所が、「20万分の1地質図」の作成を開始した(1885年)。 
1888年  地質調査所が、伊能忠敬以降、最初の実測日本全図となる「1/1,600,000日本全図」を多円錐図法で作成した(1888年)。 
1888年  参謀本部により日本で最初の地形図「第一軍管地方2万分の1迅速測図」が作成開始された(1880??年)。 
1899年  世界初のナショナル・アトラス:「フィンランド・アトラス」(1889年)。 
1900年  ミシュランが、世界初の自動車用道路地図「自動車用道路地図帳」(1900年)。 
1910年  陸地測量部が「2万5千分の1地形図」の作成を開始した(1910年)。 
1912年  ガウスの遺稿からドイツ人クリューゲルが、横メルカトル図法の今日の構成を完成した(1912年)。 
1914年  水路部が、日本で最初の航空図「横須賀至東京」を作成した(1914年)。 
1917年  ドイツが、写真測量による最初の等高線地形図作成した(1917年)。 
1924年  陸地測量部の「5万分の1地形図」が整備完了した(1924年)。 
1929年  水路部が、最初の海底地形図「日本近海水深図」を作成した(1929年)。 
1949年  測量法が公布された(1949年)。 
1955年  建設省道路局が、日本で最初の「自動車用道路地図」を作成した(1955年)。 
1956年  経済企画庁が、「5万分の1土地分類図」の作成を開始した(1956年)。 
1956年  林野庁が、「5千分の1森林基本図」の作成を開始した(1956年)。 
1960年  国土地理院が、「国土基本図(5千分の1、2千5百分の1)」作成を開始した(1960年)。 
1961年  地質調査所が「日本の水理地質図」シリーズの作成を開始した(1961年)。 
1974年  水路部が、最初の国際海図「日本西部」を作成した(1974年)。 
1974年  国土地理院が、「2万5千分の1土地利用図」の作成を開始した(1974年)。 
1974年  水路部が、最初の国際海図「日本西部」を作成した(1974年)。 
1977年  国土地理院が、「ナショナル・アトラス(日本国勢地図帳)」を刊行した(1977年)。 
1979年  環境庁が、「5万分の1現存植生図」ほか作成を開始した(1979年)。 
1983年  国土地理院の「2万5千分の1地形図」の全国整備が完了した(1983年)。 
1983年  国土地理院が、新「1万分の1地形図」の作成を開始した(1983年)。 
1997年  国土地理院が「数値地図」の刊行を開始した(1993年)。各種の数値地図をCD-ROMで刊行した(1997年)。 
2002年  国土地理院の「数値地図25000(空間データ基盤)」の全国整備が完了した(2002年)。インターネットでの公開を開始した(2003年)。