◆地図測量史跡 日本最高所三角点
◆史跡所在地:静岡県、山梨県(富士山頂)

 富士山は高さが日本一であるだけでなく、姿形にも恵まれ、才色兼備の貴婦人のようである。それ故、古来から信仰の、あるいは詩歌や書画の対象とされてきた。
 測量の分野では、象徴的な山として標高測定の対象となり、数多くの測定結果が報告されている。測量方法は、アリダードによる三角法、象限儀、バロメーター、三角測量、最近では直接水準測量やGPS測量による報告もある。その結果は、最低は明治 5年(1872)のウイリアムの3,267.1m、最高値は万延元年(1860)のアールコックの4,323.3mである。伊能忠敬はというと、3,927.7mの値を得ている。
 シーボルトの測量値は、後に外科医となった伊予の二宮敬作(1804- 1862)が、彼の指示に従い山頂に登り、バロメータにより測定したものといわれる。バロメータにより、山の高さを測定した嚆矢である。
 三角測量の最初は、明治20年参謀本部の測量で、頂上付近に四等三角点を設置し、標高 1,200 m付近にある4個の二、三等三角点から 3,753.4 mを求め、ここから平板測量の道線法で富士山剣ケ峰の標高 3,779 mを求めた。この値は、大正15年に改測されるまで約40年間使用された。
 頂上付近の三角点としては、この四等三角点の位置に明治23年に三等三角点標石が埋石され、その後大正15年に多少位置が変更され、改埋された「三等三角点富士白山」と、同じ大正15年に剣ケ峰頂上付近に埋石された「二等三角点富士山」がある。
 改測された結果、「富士山」の標高は 3,776.29mとされたが、真の頂上は標石の北方にあり更に15cmほど高いと当時の「点の記」に記されていたという。
 昭和37年、国土地理院は、風雨などの影響で露出した「富士山」三角点標石を低下改埋した。標高は3,775.63 mとした。担当の測量官は、m単位での標高に変更がないように文字どおり、3,775.50 m以上に積み上げた。日本一であるが故の悩みである。
 1889年「測量の日」の記念事業として、「日本の山岳標高一覧」を作成するため、各地の山の高さの測定調査を行うことになった。富士山も調査が実施され、三角点の北方に真の最高所標高3,776.24mを得た。晴れて、3,776mの山になったといえる。
最近この三角点の傍に、日本最高所三角点のモニュメントを設置した。

 富士山の主な標高測定結果
3,895.1m   1727年     福田某     三角法
3,927.7m   1811年ごろ  伊能忠敬    象限儀
3,794.5m   1823年     シーボルト   バロメータ
4,323.3m   1860年     アールコック  バロメータ
3,267.1m   1872年     ウイリアムス  バロメータ
3,478.0m   1878年     地質局     バロメータ
3,779m    1887年     謀本部     三角測量ほか  

 ちなみに、なぜ富士山に一等三角点が設置されていないのかというと。一等三角点は、ほぼ5万分の1地形図一面に一点、約40km程度の密度で設置されている。その密度で三角網が構成できること、そして三角点間で測量を行えること、すなわち相互の間で観測が容易に行えることが必要である。従って、アルプスにある北岳などと異なり、独立峰の富士山はこれにふさわしくないということである。

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